kumorijunのブログ

生きすぎてしまった人生の帳尻合わせですか

おじんのブログ12日本一のいい男-その2 20230629-20:00

団塊の世代の生き残りです。高齢者住宅で暇を持て余しています。死ぬのを待つばかりの私どもには建て前に逃げる必要がありませんので、思っていることを本音で吐き散らすことを思いつきました。『空気の読めない人』になります。


さて、ではなぜ西郷か、ということですが、大河ドラマ篤姫」を話半分に聞くとしても無血開城には関わっています。とにかくこの人が動けば部下は従うのです。あまり強調されていないのですが、岩倉使節団が洋行して新政府の主だったメンバーが留守の時、西郷留守政府は学制の公布、徴兵令の発令、太陽暦の採用、司法制度の整備等、後に五箇条のご誓文として発行される政策を作ってしまいます。正規の新政府のやることがなくなってしまいます。実は岩倉らが海外で遊んでる間にです。西郷は軍事だけでなく政治にも長けていたのです。これは大変だということで西郷は干されます。次は廃藩置県です。薩摩藩は鹿児島県になり長州藩山口県になります。藩主は更迭され新政府から知事が派遣されて治世にあたります。非常に簡素化すればそういうことです。多くの藩士も失業し生活に困ります。新政府の役人が担当しますが、一向に移行が進みません。で、大久保利光は薩摩に追い返した西郷に助けを求めます。で、これもシラッとやってのけてしまいます。西郷はご誓文で警察機構や軍隊の設立を考えていましたので説得力のある雇用紹介も出来たのでしょう。さて、この大久保、政府の金を着服したり「おネダリ体質」もありました。西郷は新政府に居場所はないと、すらッと薩摩に戻りました。
さて、ワタシが真に化け物と尊敬するのは西南戦争です。なに言うてんねんと言われそうですがワタシの解釈をお聞きください。士族を率いて戦った西郷は徐々に追い詰められ田原坂(違います、が、場所が大事なのではありません)で自刃、別府晋介という人が介錯したそうです。切腹は武士が失敗の責任を取る手段です。西郷は新政府が自分が造りたかったものとは違うと思っていました。チョットレベルに問題はありますが、維新政府を託せるのは大久保や岩倉、木戸孝允らの現行役員しか居ません。明治維新は最後の仕事、失敗は許されないので西郷は切腹することによって「お前ら黙って新政府に従ってくれ」と頼むのです。西郷が言うからみんな従うのです。これはすごすぎます。チョット脚色が過ぎたでしょうか? 
(済)