kumorijunのブログ

生きすぎてしまった人生の帳尻合わせですか

おじんのブログ2仏教法話-三尺三寸箸20230626-08:00

団塊の世代の生き残りです。高齢者住宅で暇を持て余しています。死ぬのを待つばかりの私どもには建て前に逃げる必要がありませんので、思っていることを本音で吐き散らすことを思いつきました。『空気の読めない人』になります。いじめや少子高齢化なども取り上げる予定です。
25日(日)の大河ドラマ『どうする家康「築山へ集え」』ですが、ウエブのあらすじでは『三尺三寸箸』という仏教法話がありましたが本番ではカットされました。ここで流すのはさすがに場違いと思いましたが、この話はすぐに行く地獄極楽の話ですので、これについての感想を垂れたいと思います。
私たちの近くにある地獄極楽の亡者どもは食事の時、三尺三寸の箸を使って食事します。地獄ではワレがワレがと食物を取り漁りますが箸が長すぎてつまんだ食物が口に届きません。このためいつも空腹で争いが絶えません。これに対し極楽では互いに他人と協力し食物を分かち合って腹を満たし平和に暮らします。・・・という話です。大河ドラマでは、瀬名が争いでなくゆずりあいの治世を志向したいという作りになっていました。 
言い忘れましたが『三尺三寸箸』とは1メートルほどの長い箸です。なぜか地獄極楽ではそんな箸を使うようです。オラ~そんな箸使わねえョと突っ込みたくなりますが、そこは偉いお坊さんの話ですので・・・それに、車椅子も三尺三寸箸だな~みたいないらぬ知恵もついてしまいます。お寺の内部ではめでたしめでたしと手打ちしてもいいのですが現実には災害で閉店したコンビニの店舗のものがなくなります。弱みを見せれば食い物にされるというのはロシアや中国だけの話でありません。自分が被災者で子供を抱えていたら・・・これは、窃盗や善悪だけでは収まらない複雑な問題がありそうです。が、政治問題にはしたくありません。大きすぎて手に負えないし時間もないからです。
他人のことを親身に考えるということはたいていの場合はいいのですが、結構手強い問題になることも多いのです。大抵はやらない理由に使われます。
(完)